OMの成り立ち
OMソーラーは、一人の建築家が考案した技術です。
ひとりの建築家が提唱したパッシブシステム
1973年、第1次オイルショックの年、アメリカの建築家A.バウエン氏がひとつの建築運動を提唱します。それがバッシブシステムです。
彼は主張します。「どんなに大容量のエアコンを使ったところで太陽に比べたらエネルギー量でかなうわけがない。 石油を使って暑さや寒さを力まかせに抑え込むのは、自然と喧嘩するようなものだ。 必要なのは太陽や風や木陰がもつ心地よさを活用できる建物の仕組みなのだ」と。
フロリダという蒸し暑い気候の中で、石油を大量に使うのではなく、自然エネルギーで快適さを得る方向を目指したのです。
パッシブとはアクティブ(能動的)の反対語で、「受動的」という意味です。
具体的に言うと、帆に風を受けて進むヨットや、空を飛ぶパラグライダー、夏の打ち水、干した布団に寝た時のぬくもりなど、これらはすべて、
パッシブのあり方の一例です。一方、海でのモーターボート、空でのジェット機などは、機械の力に頼るアクティブなあり方の一例といえます。
パッシブシステムは、太陽エネルギーをはじめとする自然エネルギーを巧みに建築の中に生かす技術のことであり、 機械設備を大量に製造して売るようなわけにはいきません。それを担う建築家や工務店が必要になります。
また、機械に頼り過ぎず自然を活用するという点で、パッシブの発想はシンプルですが、自然エネルギーを有効に活用するためには、 自然の力を解析するための高度な技術が必要です。
※氏はPLEA(Passive and Low Energy Architecture)国際会議を提唱し、熱心に説いて回り、 その足跡は世界60数か国に及びました。この会議は彼の遺志を継いでいまでも毎年開かれており、日本でも89年に奈良で、 97年には釧路で開催されました(OMソーラー(株)は、この2回の会議の事務局を務めました)。
1987年、OMの家が誕生するまで
A.バウエン氏がパッシブシステムを提唱した1973年よりも前から、日本でパッシブに取りくむ建築家たちがいました。その中のひとりが奥村昭雄。 彼は、「建物は熱も空気もデザインするべきだ」とつねづね考えていました。
1960年代から奥村昭雄の中に芽生えていたという環境共生的な考え方の源は、「パッシブ」という言葉と出会う前から抱き続けてきた、 樹木・植物・生物など、自然の中で生き続けるさまざまなものたちへの尽きない興味、観察、発見、驚き、感嘆、そして自然に対する畏敬へと遡ります。 自然との応答、環境との調和の中から生まれたそれぞれの生き物たちに宿る固有のシステムに美しいデザイン性を見るとともに、このことは、 奥村の「建築物を環境との応答という関係から考える」という思想の原点となっています。
奥村がこの考え方を大きく膨らませたのは、東京藝術大学の教師時代でした。朝夕通り抜けていた上野公園で、季節ごとに姿を変え生長する樹々たち。 「樹というものは、シンプルな規則性の繰り返しだ」という話題の中から、院生の一人が樹の枝分かれの規則性だけの簡単なソフトをつくりました。 数値を入れ替えてみるといろいろな樹らしい形がコンピュータの画面に表れるものです。ところが画面の樹が行き詰まりを見せるのです。 なぜなら、コンピュータの樹には環境の作用がないからです。だから、画面の樹は年もとらず、葉も落とさないのです。このことから奥村は、 実際の自然の樹は、外環境との応答を繰り返しながら、そのかたちをつくり上げている、本当の意味でのパッシブシステムであると実感します。
建築は地に根付き動きません。常に環境とともにある存在です。建築物と環境との応答関係が捉えられれば、 それを設計に応用してより良い建築環境をつくる方法が分かるだろうと、すでにコンピュータを使ってそれを解くことに取り掛かっていた奥村は、 ここに「樹の生長の姿」を重ね合わせたのです。太陽熱を含め、自然エネルギーを建築に利用する研究を始めたのは、この少し前からのことです。
奥村は、吉村設計事務所時代に担当した東京・虎ノ門にあるNCRビル(1962年竣工)で、 窓を二重にしてその間に空調の排気を流すことで室内環境の改善を図り、快適性と省エネの両立を実現します。そして、1973年には、 ポット式石油ストーブで温めた熱い空気による床暖房を試みた住宅「星野山荘」を設計します。これがOMソーラーの家の原点となります。
熱と空気をコントロールして室内に快適な環境をつくりだすことからスタートした奥村昭雄の研究は、 太陽の熱を利用するソーラーシステムの開発へとつながっていきます。1977年には、水集熱式ソーラーシステムを、1979年には、 OMソーラーの技術の基礎ともいえる「空気集熱式ソーラーシステム」をもつ住宅が設計されました。
しかし、ここから「OMソーラーの家」といえるシステムが誕生するまでには、さらに8年という長い年月がかかります。 このころ、奥村のまわりには建築家や研究者の仲間たちが自然発生的に集まり、この「面白がり屋たち」も、 いろいろな案を考え持ち寄り合ってさまざまな試みを行っていました。1983年に建てられた、日野自動車の社員のレクリエーション施設では、 設計に初めてコンピュータを使い、時間とともに複雑に変化する環境と建築物の関係を解く試みを行っています。OMシミュレーションが産声を上げた、 最初の例です。
こうして太陽熱や自然エネルギーの利用などについての実験や研究会がもたれる中で、たくさんの技術が生まれ、そしてそれらが統合され、 1987年、OMソーラーシステムが誕生したのです。
奥村昭雄 Akio Okumura
1928年東京生まれ。1952年東京美術学校建築科卒業。
吉村順三設計事務所を経て、現在、東京藝術大学名誉教授。
木曽三岳奥村設計所主宰。
著書
『奥村昭雄のディテール 空気・熱の動きをデザインする』(彰国社)
『パッシブデザインとOMソーラー』(建築資料研究社)
『暖炉づくりハンドブック』(建築資料研究社)
『時が刻むかたち』(OM出版)
『樹から生まれる家具』(OM出版) 他
OMは何の略?
Oは「おもしろい」、Mは「もったいない」を意味しています。「環境」といわれると、とかく四角四面になりがちですが、 環境技術はそのための術であって、人の気持ちが駆り立てられるような、「おもしろさ」に満ちたものでありたいものです。
この地表に燦々と降り注ぐ太陽の熱を使わないのは「もったいない」。太陽があれば太陽を、いい風が吹いていればその風を、 樹木が立っていればその樹を。知恵と工夫で余さずにいただこうというのがOMソーラーの原点です。